読書話柄

読んだ本についてあれこれ書く読書ブログです。

高丘親王航海記 / 澁澤龍彦

澁澤龍彦の遺作にして唯一の長編小説 天竺を目指す幻想的な旅路

本作は澁澤龍彦(1928-1987)の遺作。没後読売文学賞を受賞している。

平安時代初期に実在した皇族・高丘親王が天竺(インド)を目指して旅をする物語である。

 

まず、史実の高親王について説明する。高岳親王平安時代初期の799年に生まれた。父は平城天皇。809年に平城天皇が譲位し嵯峨天皇平城天皇の弟、高岳親王の叔父)が即位すると皇太子に立てられた。しかし平城上皇嵯峨天皇は対立し、810年の政変(薬子の変)の結果、敗れた平城上皇は出家し権力を喪失、高岳親王も皇太子を廃された。その後高岳親王も出家し空海の弟子となり、高弟の一人に数えられるまでになる。やがて老境に入った高岳親王は唐に渡ることを望み、唐の首都・長安に至るや今度は天竺行きを志す。865年、唐皇帝の勅許を得て広州から船で出立したがその後は行方不明となった。後に羅越国*1薨去したとの報告が伝わる。

高岳親王の生涯の転機となった「薬子の変」だが、これは平城上皇の愛人である藤原薬子とその兄・藤原仲成が首謀者だと考えられていたことによる呼称である。薬子というのは妖しげな女性で、本来、薬子の娘が平城上皇(当時皇太子)の妃となり薬子は付き添いだったのにも関わらず、やがて娘を差し置いて自分が愛人の座に収まってしまったという人物である。薬子の変の際に、追い詰められた薬子は毒を仰いで自害している。

 

『高丘親王航海記』は、いよいよ天竺へと旅立つ高丘親王が唐・広州の港で船出を待つところから始まる。高丘親王は67歳。外見は50代を保ち、常に穏やかで好奇心旺盛な人物である。

供は三人。少々荒っぽいが語学に堪能な安展。博学で古典や地理、動植物に詳しい円覚。出港直前に保護を求めてきた逃亡奴隷の秋丸。

天竺への旅だが、まず中国南東に位置する広州から船で南下し東南アジアへ向かい、東南アジアからは西進するルートをとる。

 

おもな舞台は東南アジアになるのだが、作中の東南アジアはファンタジー異世界である。人語を習い覚えるジュゴンに始まり、下半身が鳥の女、夢を食べる獏、犬頭人、空飛ぶ丸木舟など、幻想的な世界が広がっている。

ところで、一応は実在の人物を主人公にしているが、本作は一般的な意味での歴史小説とは言い難い。ファンタジーな要素があるだけでなく、登場人物は横文字を平気で使うし、メタフィクション的なユーモアもある。例えば、序盤の方で人語を話すオオアリクイに出会う場面がある。その際、ここにオオアリクイがいても構わないではないかと言う親王に対し、博学の円覚が食ってかかって、オオアリクイは今から約六百年後、コロンブスの船が行き着いた新大陸で初めて発見されるべき生き物である、と主張する。横文字どころではない無茶苦茶振りである。これに対するオオアリクイの反論も面白い。

 

高丘親王は薬子の幻影にとらわれ続けている。そもそも天竺に対する憧れが芽生えたのも、親王が子供の頃、添い寝した薬子が天竺について物語ったことがきっかけである。親王は頻繁に薬子を思い出し、夢に見、出会った人に薬子の面影を見出している。かつて薬子は「天竺まで飛んでいけ」と唱えながら何か光るものを暗い庭に向かって投げ、あれは自分の未生の卵で、天竺まで飛んでいって五十年後に鳥に生まれ変わるのだと嘯いていた。親王はそのことをずっと忘れないでいる。

 

僧侶が天竺を目指すということで読む前はもっと抹香臭い話かと思っていたが、実際は幻想的で軽やかなファンタジーだった。澁澤龍彦が晩年の病床で書いた作品なので、その境遇と関連付けて考察されることも多いようだが少なくとも重苦しい印象はない。最初から最後までゆったりと楽しめた。折に触れて読み返したいと思える作品だった。

*1:マレー半島南端にあったと推定される国。史料に乏しく詳細不明。